自分で思うよりはるかに他人は自分に興味がない
前回ブログを書いてからだいぶ間が空いてしまった。
3日坊主なのである。
特に最近は、彼氏ができて1か月で別れたり、精神不安定になり仕事に行けなくなったり、終電を乗り過ごしタクシーで帰ったり、親に若かりし頃の不倫を告白されたりと忙しかった。師走とはよく言ったものである。
さて、私は2年ほど前から歯列矯正をしていた。歯に装置をつけてそこにワイヤーを通し固定し、そのワイヤーを少しづつ締めていくことで歯並びを整える。治療にかかる期間は、およそ1年半~2年ほど。その間はずっと歯に器具がついているので、歯磨きはしにくいし見た目もかなり気になる。おまけに、ワイヤーを調整したあとはかなり歯が痛い。ぐいぐいと締め付けられるようなきつさがあり、食べるのにも一苦労である。
そんな矯正もようやく終わりを告げた。正確にいえば、終わったわけではない。矯正の装置が取れたあとは、リテーナーといって、なんというか入れ歯にかなり形状が近い装置を口の中に入れておく必要がある。
歯はもとあった場所に戻ろうとする性質があるので、これでまた2年間ほど装着し、歯の筋肉だかを保定させてあげなければならない。なんでも筋肉はまるでバネのように伸縮するので、ちゃんと抑えておかないとビョーンと伸びてしまい、せっかくの歯並びもガタガタに戻ってしまうというわけである。
本題はここからである。
矯正の装置は、正直かなり目立つ。
喋っていて、あからさまに私の口元をジロジロと眺め続ける人も少なからずいた。まあ、毎日見慣れた私でさえギンギラギンさにウンザリすることもあるので、仕方ないといえば仕方のないことだ。
母親などは「虫歯かと思って、ぎょっとした」と非常に失礼なコメントをくれたし、まあ目立つもんな。
だが、このたび無事に装置を外してからの周囲の反応は想定外であった。
やはり数名は気づき、「矯正とれたんだね!」と声をかけてくれるが、
「えっ、矯正してたっけ…?」
「あーなんか、そういえばしてたね」
という人がかなり多かった。
これに私は非常に驚いた。みんな意外と人のことなんか見ていないもんなのかなと思った。いや、見てはいるのだが、そこまで興味もないという感じなのだろうか。
矯正中、私は非常に装置をコンプレックスに感じていた。話すときは必ず手で口元を覆い、外食すれば何かが装置に挟まっていないか不安で気が気じゃなかった。
だが、いざ外してみても、周囲の反応は全く変わらない。
自分が抱くコンプレックスは、他人から見たら大した問題じゃなかったりする。
長所と短所は表裏一体だなと思う。
とても整った容姿の人間がいる。だが、その容姿から勝手に「性格が悪い」「近寄りがたい」など思われがちだったりする。
とても太った人間がいる。だが、太った人を好きな人たちもいる。
いい加減な人間はいい加減だからこそ、悩みを相談しやすかったりする。
何がいいのかなんて、本当にわからないものだ。
矯正について調べていたら、こんなワードがヒットした。
「歯列矯正フェチ」
もっと早く知っていたらと、思わずため息が出た。