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決意することの無意味さについて

 

決意することは無意味である。

ということに最近やっと気が付いた。

 

酔って終電を逃すことが最近増えた。いや、終電にはかろうじて乗れるのだが、最寄り駅を乗り過ごし、わけのわからない駅で降ろされ、寒さと孤独に震えながらタクシーを待つことになる。

昨日もそうだった。電車を乗り過ごし、しかもさらにタクシーでも寝過ごした。おかげで料金がいつもより2000円ほど高く、さらに手元にお金がなく、コンビニでおろして再度タクシーに戻った時の、運転手の蔑むような目はしばらく忘れられそうにない。恐らく私のような人間がこの時期増えるのだろう、「どいつもこいつもいい加減にしろや」という目をしていた。

 

酩酊状態で家にたどり着き、化粧も落とさず布団に潜り込む。翌朝の目覚めは最悪だ。

顔はバリバリだし、足はむくんでパンパン、なにより気持ち悪い。煙草のニオイが服につき、着替えず寝たものだから布団まで煙草くさい。胃がもたれて吐きそうだが、嘔吐恐怖の毛があり、吐くのもままならない状態である。布団のなかでうなりながら、決意するのは何度目だろうか?「もう二度と酒なんか飲まねえ…」

そう、この決意に意味などあるのだろうか?

「5キロ痩せる」「会社にちゃんと行く」「毎月本を20冊読む」など、今までにさんざん決意してきた。だがそれらを実際、継続・実行できた記憶はほとんどない。

このブログも、当初は毎日更新するつもりだった。その時は強く決意できるのだ。その時だけは。

 

私は泳げないのだが、いつか1キロくらい軽く泳げるようになりたいと思っていた。そのうち水着を買い、プールがあるジムを契約し、通って泳げるようになろう!そう決心してからおそらく1年は経った。いざ水着を買おうと思っても、「意外と高いな…」「これで通わなかったら無駄金だし」などと考えるとなかなか購入に至らず、またジムを見学に行っても「なんか人がいっぱいいて怖いな…」「通えるかな…」などと考えてしまい、契約はしなかった。

決意や決心には意味がないかもしれないが、行動には意味がある。

つい1週間ほど前、急に思い立って仕事を休みジムの見学に行き、契約。さらにその足でスポーツ用品店に行き、水着やゴーグルなど1セット揃えた。

今日はジムに行き、40分ほど泳いでみた。泳ぐといっても、ビート板につかまりながら溺れているみたいな感じなのだが、楽しかった。もっと早くはじめればよかったと心底思った。ストレス発散にもなり、なにより大人になってから何かを一生懸命にするおとなどなかったので、新鮮であった。

決意したら即実行するのが良い。頭の中で考えていても仕方ないし、なにより百聞は一見に如かず。失敗しても死ぬわけでもなし。私はこういう考え方だったなと、思い出すことができた。

 

なので酒断ちしようと思ったが、この時期である。時期が悪い。クリスマスや忘年会シーズンが終わったら酒はやめよう。そうする。来年から本気出す。